社会保険労務士法人 経営者のマイストーリー

野球に導かれた天職

みなさんは社会保険労務士にどんなイメージをお持ちですか?
手続・給与計算などの事務代行?法律に準拠したお堅い仕事?士業で安定している?
かつての社労士へのイメージは、代行業といったものでした。しかし、19歳の私が社労士という仕事と出会い天職として選んだ経緯には、そういったイメージとは全く違う想いがありました。

今につながる私の基礎は小学校のうち3年間を過ごした大阪で創られました。それ以前は、優秀な兄と比較され、「勉強ができない、何かができない」とどこか自分に自信が持てず窮屈に生きていたように思います。ところが、父親の転勤で移り住んだ大阪で関西気質を持った友人と出会い、そして野球を始めたことで、窮屈さや劣等感から開放され自分らしくのびのびと過ごすことに目覚めたのです。言いたいことを言い、やりたいことをやる―それが問題になることも少なくありませんでしたが、自我の形成に大きな影響を与えたターニングポイント、それが大阪での時間でした。

野球に出会った私は、入試の難易度が高い強豪・早稲田実業でプレーすることを夢見たことで、それまで全く興味がなかった勉強にも目覚め、文武両道を地でいく中学時代を過ごしました。その甲斐あって見事、早稲田実業の野球部に入ったのですが、入部間もなく辞めてしまいます。野球が嫌いになったわけではありません。現に私は今でも、マニアと自負するほどの高校野球ファンですし、母校の試合は毎年欠かさず応援に行きます。そこには、野球以外のことに理不尽に干渉する(と当時の私は勝手に思っていた)部則に対する窮屈さがありました。大阪時代、のびのびと自分らしく生きる自由を知った私には、到底受け入れがたい不自由でした。部則への嫌悪感も日に日に増してしまい、なんの未練もなく野球をやめた私は目標がなくなり、学校を辞めようとまで考えました。結局、辞める勇気はなく、その後はアルバイトに明け暮れましたが、そのアルバイトの経験や父親の転勤による数度の転校や長期に渡る父親の単身赴任を一家族として経験したことにより、規則や命令に縛られることなく自分らしく働き・生きるには?を考えるように。進学した大学で『組織心理学』という授業と出会ったことで、「働くということが、だれかの犠牲のうえに成り立つものではなく、幸せにつながるものにしたい」という理想から社労士を志しました。野球をやっていなければ勉強にも興味を持てず大学に進んでいなかったでしょうから、運命だったのかもしれません。

社労士一筋20年目の2015年には念願だった、“働く”を“感情面”からサポートするため株式会社HRアセストを設立しました。19歳の私が思い描いた理想が、今日も経営者として、社労士として悩み考える私を突き動しています。

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